1987年、大学で1年余計に過ごして就職した私は、東京の某大手企業グループの食品部門に入社したものの、思うところあって3か月で退社。そして北海道へ戻り、大学時代を過ごした函館で大学院生になった友人の部屋に居候しながら、これまた大学時代の友人のつてで、ほどなく食品の商品開発を生業としている小さな会社に就職しました。そこでの私の仕事は、商品開発の中で添加物や様々な殺菌剤の使い方をテストしたり、出来上がった商品の細菌検査や理化学の検査を行うこと。そして出来上がった商品を製造してくれる協力会社の製造管理と衛生管理を行うことでした。今にして思えば今現在の私の知識や経験の基礎を作る貴重な時間であったと思います。
その会社は、社長とその奥さん含めて5~6人の小さな会社で、大正生まれの頑固な社長のもと20代を過ごしたことは、今の会社経営の中にも良くも悪くも大きな影響を与えているのは間違いありません。新しい商品のアイデアが浮かぶ都度、「これで御殿が立つぞ!」と夢見る発明家の社長は、私が在籍した7年の間で(その後会社をたたむまででも)ついぞ御殿を立てることはなく(笑)、それでも夢見て仕事をすることの楽しさを教えてくれました。その反面教師として、経営理念の下、しっかりとした経営方針を持たなければ夢を現実にすることができないのだということも教えてもらったと思います。
製造の協力工場は、函館から車で1時間半ほどの福島町や車で1時間ほどの森町にありました。道南特有の強力ななまりの中でのコミュニケーション、魚やホタテの生処理しかやったことのない工場での惣菜の製造・・・言葉と習慣の壁が高く立ちはだかっていました。そしてその中で学んだことは、現場で働く方たちとのコミュニケーションの大切さと、商品を作る上での製造条件、加工条件の大切さです。つまり、来年から制度化になるHACCPに基づく衛生管理の根幹をなす、従業員の教育と重要管理点につながるものを、HACCPという概念や言葉すら知らない時代に、身をもって体験できたと自負できる7年間だったと感じております。ただ、それゆえにHACCPに基づく衛生管理とは特別で難しいものではなく、食品の製造や加工においてはごくごく当たり前の概念であるということです。HACCPという言葉を知らなくても、きちんと安全な物作りを行っていくと必然的にぶち当たる、製造や加工、調理のための課題の解決のための手法であるということです。
私の函館時代はちょうど20代を過ごした時代であり、衛生管理という世界に出逢った時代でした。その後、30代に入り札幌へ移り住み、いよいよHACCPと出逢うことになります。次回は、そのHACCPとの出逢いについて書きたいと思います。