来年の東京オリンピックを前に制度化(義務化)されるHACCPとは何か?その本質は実は簡単で非常に理にかなったものなのに、そこに関わってきた人たちの思惑や利害が加わり、平成7年の食品衛生法の改正で初めて明記されてから25年の歳月の中で、非常に敷居の高いものになったと感じます。日本語に訳すと「危害分析・重要管理点」・・・「?」判ったような、判らないような日本語ですね(笑)大まかに説明すると、食品の調理や加工・製造の工程(流れ)の中の、どの段階で手を抜くと食中毒や食品事故が起こるかを見つけて、その段階(工程)を管理する基準を決めて、きちんとその基準を守ったという記録を残しましょう、ということなのです。真面目に物づくりに取り組んでいると、そんなの当たり前、ということなのです。ただ、その段階の見つけ方に多少のルールとやり方があるので難しいものに感じてしまうのですが、その本質は安全に物を作る時の基本ということができます。
さて、実はこのHACCP、仕組みが出来上がってからが重要です。それは、その仕組みに基づいて運用するのが「人」であるからです。その仕組みを教えて、何を行うかを作業する人に教えて、理解してもらわなければいけません。つまり、従業員教育ですね。
人にものを教える時、ついつい陥ってしまうのが「なんで分らないの?」という感情です。育児の中での子供とのやりとり、社会に出てからでは部下や後輩に教える時など、責任のある立場になるほどに、そのような場面に遭遇します。なかなか理解を示してもらえない時、私もよく「なんで分らない?」とイラだったことも多々ありました。その中で、反省しながら到達した境地が「相手は自分とは違うのだから同じようにはなかなか理解できないだろう」「こちらの教え方に問題はないか?」という視点の切り替えでした。私は教育者でも教育の研究者でもありません。ただ、失敗した経験の中から到達したのが「相手に対して謙虚であろうと思うこと」でした。
そして実はこのHACCP、きちんと仕組みを作っていく過程に「検証」と「改善措置」という作業が要求されます。いうなれば、常に謙虚に計画を見直しましょうということです。一度出来上がったものは「完全」である、という大柄な態度ではダメですよ、とう警告まで含まれた仕組みなのです。それはやはり、人は完全な生き物ではないという謙虚な姿勢からくるものなのだろうと思います。
若かりし頃の自分を振り返り、わがままで大柄で沢山の人を傷つけて生きてきたなと反省する今日この頃です。人にも仕事にも、もっともっと謙虚でなければ、とHACCPの制度化を前に思うのでした。